「性」は、本来本能である。
本能によって、性衝動があり性行為があり、命が誕生し命の連鎖がある。
ヒトの脳は進化の過程で、大脳皮質(新皮質)をつくりだした。
本能をコントロールするための脳。
本能からの情報を受け、考えて行動する。
生殖だけの「性」からの開放です。
まさに「愛」の誕生でしょう。
「性」は生殖から、互いを求める慈しむツールへと進化した。
恋の原義は“乞い”。
気になる相手を乞う、自らに引き寄せたいと願う想い。
乞う想いは、あらゆる手だてを講じて相手を引き寄せようとする。
こちらを向いてもらわねば、「性」は始まらない。
あらゆる時代、あらゆる文化の中で「愛」の痕跡が発見できる。
古代バビロニアから現代まで、歴史の中に残される数々の愛の詩をはじめとして。
ヒトは、本来、愛するように愛されるようにできていると。
ヒトの「性」は、精子と卵子が結合する有性生殖である。
だからヒトの「性」には、男と女が必要。
さらには、人類は、子どもを育てる種への筋道を選択した。
愛するという感情が生まれる必然があった。
愛される必然があった。
養育行動の進化が、種の繁殖に革新をもたらした。
親が守り養育することは、こどもの生存率を上げ、脳の発達期間を伸ばした。
愛するヒトを乞い、愛を確かめ合い「性」に至る。
そして、子どもを生み、育てる。
人類の繁栄と存続のために「愛」が生み出されたといっても過言ではない。
「愛」は、ヒトを乞い欲することから生まれる感情。
狂気と表裏一体の部分を持つ。
誰かを激しく愛すると、体に強烈なストレス反応が起きる。
闘争本能が刺激され、潜在能力が高まる。
副腎が収縮、血中にアドレナリンとコルチゾールが放出、鼓動が速まり、目が見開き、発汗。
脳の快楽回路が刺激される。
快楽の回路が進化したのは、本能“乞い”のなせる業。
「愛」を求める「闘争本能」。
激しい乞いは、劇的な恋を連想させる。
「性」の快楽にたどりつく以前に、“乞い”(恋)の快楽が訪れる。
“乞い”(恋)は、ヒトにとって劇薬でもある。
生きるとは痛みであるとブッタの言。
欲望ゆえの痛み。
しかし、「愛」は痛みではない、平穏なやさしい感情、癒しの「愛」でもある。
ヒトの生理反応は、寛大や受容の回路へも快楽の道筋を開く。
密度の濃い関係を築くヒトは、きわめて活発といえるストレス反応の枢軸をもつ。
小さなストレスのくり返しは、脳を柔軟にする。
柔軟な脳はヒトにやさしい。
数々のストレスを前提に、「愛」は「性」を獲得する。
「愛」は、相手を乞うエネルギーであり、相手を守るエネルギーでもある。
守る愛の発揮には、より多種の柔軟性をもった脳への進化がテーマ。
ヒトは想像力で、神経回路を操作する。
体全体の感覚、繰り返す記憶。
ヒトは思い出を繰り返すことで、過去を繰り返すことができる。
永遠に恋して愛を語る。
懲りない感情も本能か。